母校支援

経営は苦難の連続!それでも乗り切れたのは・・・

はじめまして。昭和53年(1978)に応用理科学科卒業した高橋愛朗です。今回は、応用理化学を学んだ当時の思い出、経営を通じた感謝の気持ち、そして現在の経営に欠かせないスコットランドとの出会いについて振り返ってみたいと思います。

楽器作りを目指したものの・・・

そもそも応用理化学科への志望動機は、中学・高校に所属していた吹奏楽部に起因しています。当時、良い金管楽器は非常に高価で学生には手が出ないものでした。「安価で良い音色を醸し出す金管楽器を作りたい」と考えるようになり、金属の素性と音の研究が出来るのではないかと考え選んだのが応用理科学科でした。

音声の分析に携われる機関が外部の研究室にあり、3年の夏休みと4年次はそこで音声分析をして過ごしました。当時、ドイツのGottingen(oはウムラウト 注1)大学が音響工学の最先端でした。

伯父が東北大学の教授でしたので、東北大学の音響工学の教授にお話を伺ったり、Gottingen大学の音響工学室を紹介頂いたりなど関連する場所には訪問もさせてもらいました。

卒業後は日本の楽器メーカーに就職したいと考えていたものの、当時の能力では、人の琴線に響く音色と、そうでない音色との区別を数字化することが大変難しいものだったのです。

さてどうしようかと悩む中、人生の先輩から「『音』は仕事にせず、楽しんではどうか」とのご助言が心に響き、父の会社に入社しました。父は神戸大学の工学部卒でしたが、「Scotch Whisky Old Parr」の輸入会社を経営していたのです。

(注1)ウムラウトとは:1ドイツ語などで、母音の音色がそれに後続する音節の影響で変化すること。母音変異。また、変化したその母音。変母音。ドイツ語ではä、ö、üのように示す。
2 変母音を示す綴字(ていじ)記号「¨」のこと。

留学経験を生かしてやり遂げた使命

私は大学1年から3年間は小金井寮で生活しました。神戸出身の私は同じく地方出身の仲間との寮生活で毎日楽しく過ごし、今もその関係は続いています。 寮では寮長も経験しました。その関係で蓮見孝雄理事長にもご挨拶に伺っていました。蓮見理事長は父の神戸大学当時の教授とわかり、私の神戸での結婚式にもご臨席賜るほどよくしていただきました。

卒業後は、英国Scotlandの首都Edinburghで1年、そしてドイツのHeidelbergで英語・独語を学びました。その経験を活かして父の希望でしたEdinburghで3つの使命をやり遂げました。(1984年から1988年)

その使命とは、

1.会社の支店の立ち上げ
2.旅行代理店の開設
3.日本レストランの開店

です。

当時、英国はビックバン:日本はバブル全盛期。OldParr(注2)の代理権喪失に伴い帰国後、私が社長に就任することになりました。これまでに様々な困難に遭いながらも、多くのご支援のもと、洋酒食品の専門商社であるロイヤルリカー株式会社、コンビニエンスストア・ローソンのフランチャイズ店7店舗を運営する広尾エンタープライズ株式会社を現在経営しています。

(注2) Old Parr(オールドパー)とは:スコッチウイスキー(ブレンデッド)の銘柄のひとつ。19世紀後半に考案された、ブレンデッドウイスキーの代表的銘柄のひとつ。名称は152歳まで生きたとされるイギリス男性、トーマス・パーの名にちなむ。明治初頭、岩倉具視が欧米歴訪の際に持ち帰り、明治天皇に献上したエピソードが知られる。主要な原酒は「クラガンモア」など。

阪神淡路大震災で支店が被災!

 会社経営で一番大変だったのは1995年(父の他界後2年)の阪神淡路大震災の時です。輸入は神戸港を拠点としていたため、震災によって酒類の保管状況が掴めなくなったのです。

当時は神戸市に支店を設けていましたが、支店の入居していたビルは被災し何も持ち出せないまま閉鎖に追い込まれ、賃借していた地下倉庫は圧し潰される事態になりました。

保険は適用されず、結果として取引会社に渡していた手形は不渡りとなり、万事休す。社名が帝国データバンクの不渡り手形会社の一覧に掲載され万人の知るところとなりました。


参考:神戸港前景 国土交通省近畿地方整備局ホームページより

しかし、その前年の10月に大阪支店を立ち上げており、震災の2日前に大阪府茨木市の倉庫に約1か月分の在庫を移動していたのです。社員・ご家族に借入・給与の遅配・分割等のご協力を頂き、近隣の信用金庫からは負債の肩代わりのお申し出を頂くことで何とか1年を凌ぎ、不渡り手形から会社名は削除されました。

助けていただいた信用金庫の支店長が交代するごとに、当時のご対応に今も感謝していることをお伝えし続けています。他行の役員・支店長も含むどの方々も「不渡り手形を出した会社に負債の肩代わりを申し出るなんて、私には絶対できない」と言い、当時ご対応下さった支店長から頂いた御恩は今も忘れることはありません。

ところがその後も次々と困難に襲われます。2001年の同時多発テロで海外旅行者が激減してお土産部門は大幅な減益を強いられ、さらに2008年にはリーマンショックにより為替予約の大誤算に見舞われたあげく、2020年には新型コロナ感染症の影響で売上は0(ゼロ)となるなど経営危機に何度もさらされてきました。それでも周りの方の協力をいただきながらも、今日まで経営を続けてこられました。

スコットランドとの出会い

会社の経営以外ではNPO日本スコットランド協会の代表理事を2012年から務めています。当協会は、日本とスコットランドの文化交流を主たる目的としたNPO法人で、1985年に父が立ち上げた協会です。

創立のきっかけは、父が仕事でEdinburg(エディンバラ)を初めて訪れた際に、「英語が苦手・西欧料理が苦手・アルコール類が苦手」の3重苦に非常に落ち込んだものの、それでもライトアップされたEdinburgh城がつらい気持ちを癒してくれたのだそうです。


Commanda表彰式

それ以来Edinburgh:Scotlandが大好きになり、「スコットランドの良さを一人でも多くの日本人に知ってもらいたい」との願いで立ち上げたのが当協会です。会社経営ではなかなか知り合えない方々との交流を、当協会を通じて広げております。

私は常に人に助けられています。感謝の気持ちを常に忘れず、少しでも世の中の為になることを考え、活動しながら過ごしています。再婚後、8歳・10歳の男児がいますので、あと20年は元気に現役を続けなければなりません。今は子供たちのお陰で充実した生活を送っています。

1978年卒業
応用理科学科
高橋 愛朗
ロイヤルリカー株式会社
https://www.royal-liquor.co.jp/

NPO日本スコットランド協会
http://www.japan-scotland.jp/