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石油と戯れた人生〜私の石油人としての足跡〜

私は、応用理化学科(現在、応用化学科)を1974年に卒業しました。生まれは愛媛県で、父が電力会社に勤務していたこともあり、子供の頃から歴史のある『電機学校』という名前に親しみを感じていました。

入学後は『学び×人生の出会い』を通じて楽しい4年間を過ごしました。住まいは東京都東久留米市にある常盤学舎(愛媛県人寮)で、有名な歴史小説『坂の上の雲』に登場する正岡子規(俳人)や秋山真之(軍人)が学生生活を過ごした歴史のある寮です。ここで、他大学の仲間もたくさんできました。

石油危機勃発の年に、愛媛県の太陽石油株式会社(以下、太陽石油)に入社して、石油人としての一歩を踏み出し、まだまだ若いつもりで、50年にわたり石油に関わる人生を歩んできました。最近のウクライナ侵攻やガザ侵攻は、50年前の石油危機を思い起こさせ、早期の解決を切望する昨今です。

私の石油人としての足跡を振り返り、この50年間を石油産業の系譜に照らしてみると、原油価格は20ドル/バレルから140ドル/バレルと大幅に変動し、国内石油会社も17社から5社に統廃合が進むなど、波乱の時代でした。

都市伝説とされるものの中で、企業寿命は100年と言われています。日本の石油産業は100年を超え、現在、AIが巻き起こしている第四次産業革命が社会構造を大きく変えつつあり、新エネルギー産業に企業形態を進化させています。これにより、石油産業の未来は明るいと確信しています。前置きが長くなりましが、ここからは、私の石油人としての歩みを紹介しましょう。


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卒論で化学のスゴさと面白さを感じた瞬間

3年生までは、単位数だけを気にしながら、のんびりと楽しく大学生活を満喫しました。4年生のゼミは岩瀬・藤本研究室に所属し、外研で理化学研究所有機合成研究室を選択しました。

デヒドロアビエチン酸にアミノ基やカルボキシル基を導入する研究を通じて、卒業論文をまとめる過程で、化学のスゴさと面白さを学びました。英語の論文には辞書を片手に悪戦苦闘しながら立ち向かい、朝早くから夜遅くまで、失敗を繰り返しながの実験でした。

今さらながらですが、指導教官から受けた温かい指導に感謝しています。時には近くの焼き鳥店での指導もありました。そういった指導のおかげもあり、卒論発表会で高い評価をいただき、これが化学(石油)の道に進む転機となったのです。

現場で化学を学んだ時代

1980年、太陽石油はバイオ分野への進出として、環状デキストリンの応用の研究を開始することになりました。私は上司に研究の担当を直訴し、環状デキストリンの包接反応でオイルサンドからビチュ―メンを抽出する研究をすることになりました。

環状デキストリンはグルコール(砂糖)がドーナツ状をした分子構造で、オイルサンドはカナダで生産される原油と砂が混合した固形物です。この固形物を沸騰水に投入して油分であるビチュ―メンを回収する時にビチュ―メン回収促進材として環状デキストリンを使用します。

その後、環状デキストリンの包接反応機構の解析および包接反応を応用した機能性樹脂の開発等のテーマで東京工業大学にて工学博士を授与されました。

世界の研究レベルを実感

1990年頃、世界的にGTL(Gas to Liquid)(注1)が狼煙をあげました。私は、30日間の世界一周の出張の団長に任命され、マレーシアのシェル社、南アフリカのサソール社、英国の英国石油社、米国のエクソン・モービル社などを訪問し、世界中の動向を調査しました。

そして、GTL技術を把握し、迅速な研究の開始を提言する調査報告書をまとめた後、訪問先の国際石油大手企業に対して調査の趣旨を緊張しながら説明し、情報交換を行ないましたが、今となっては大変懐かしい思い出です。

最近、図-1のGTLはCO2を原料として合成燃料を製造する技術として復活し、グリーン燃料の最有力候補となっています。


図-1合成燃料の生成工程(ENEOSのHP引用)

また、中東では、オーマン国の炎天下45℃の現場で、図-2に示す油田随伴水浄化の実証実験を行いました。マイクロバブルを使用して浮上する油分を回収し、水中の水銀等の重金属の除去に関する研究を行なった結果、光栄なことに王立スルタン・カーブス大学から功労賞を授与されました。

成果発表には部族の長老、王立大学学長、石油大臣、日本国大使などが参列し、NHKの昼のニュースでも報道されたほどです。気候的には厳しい状況で、暑く、雨も少ない国々ですが、神様の恵みである石油を活用して明るい未来を目指している気配を感じます。

(注1)天然ガスを一酸化炭素と水素に分解後、分子構造を組み替えて液体燃料などを作る技術。


図-2油田随伴水浄化のイメージ図

太陽石油の研究部門の立上げに奮戦

太陽石油は、2003年に研究部門を新設し、その研究総括の責務を担いました。私は、化学の基礎を学ぶ部門の育成に力を注ぎ、後継者に研究のスゴさと面白さを伝えることを意識しました。また、対外的には石油会社の中央研究所の交流会への仲間入りも果しました。

2007年には水銀除去装置の水銀除去機構を学術的に解明し、その成果により、石油学会技術進歩賞を受賞できたことで、研究部門は石油業界での認知度を向上させることができたのです。現在、この技術は日本の全ての石油会社で採用されており、さらには石油精製プロセス(石油学会発行)において、数少ない国産装置として紹介されています。


図-3 太陽石油四国事業所の全景(太陽石油のHP引用)

地元への恩返しの年齢になって

定年退職後は、愛媛県の活性化に貢献するため、今治タオル、愛媛みかん、日本酒などの製品の輸出及び石油分野の現場に沿った研究開発を目指すIHテクノロジー株式会社に勤務しています。

当社は、水銀除去、硫化水素除去、窒素化合物除去の事業で次々と成功を収め、愛媛県のスゴ技企業に認定されています。2014年に世界石油工学技術者協会のオランダ大会で欧米の石油会社に開発技術を紹介し、そして、2023年には経済産業省から『ものづくり日本大賞』を受賞。現在は、愛媛大学と共同で合成燃料の開発を進めています。

また、愛媛県今治市のFMラヂオバリバリでは、『明日のエコより今日のエコ』という番組で放送作家として、10年にわたりお喋りを提供しています。このコミュニティ放送は、広域放送では取り上げない、きめ細やかな地域情報を提供することによって、今治市民の方々が豊かで安全に暮らせることを目指しています。

緊急時には必要な情報を発信し、また市民参加型放送局として、市民全体が作る情報発信基地となることを目指して、地域の方々に愛され、親しまれる放送局となるよう、努力しています。


ラヂオバリバリ放送局 www.jcbasimul.com

これから社会にでて活躍する学生のみなさんへ

今年、私は校友会のコミュニケーションサポーターに任命され、最年長者として参加しています。しかし、SNSやChatなどの言葉については理解が追いつかず苦戦していますが、アイディアだしの部分で貢献できているようです。

そんな私から学生の皆様へ就職に関するヒントをお伝えします。学生の視点では、給料、有給休暇の取得の自由度、仕事内容、兼業等が大切な要素となりますが、一方で、企業の視点からすると、学校名や成績よりも本人の意欲を重要視しています。相手が何を求めているのかを理解することで、自身の活躍に繋がってくるのではないでしょうか。

最後に自分へのご褒美の仕方を2つ伝授します

このブログを読んでくださっている皆様の中には、「自分へのご褒美」をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。最後に私自身の「ご褒美の仕方」を皆様に伝授して終わりたいと思います。

その1 美味しい食を楽しむ

日比谷にある『かどや虎ノ門店』の愛媛料理をご紹介します。愛媛・宇和海で水揚げされた新鮮な魚介類を毎日空輸し、のんびりと育った愛媛の新鮮な野菜と一緒に、大都会にいながらも愛媛宇和島の海の幸・山の幸をご堪能いただけます。また、食事を引き立てる八木酒造部の『しずく媛』は絶品です。

その2 時空の時を過ごす

四国の魅力を愛媛県今治市にある今治国際ホテルで優雅にお楽しみいただけます。お客様をお迎えする客室は、ゆったり広々とくつろげる空間を提供すると同時に、機能性を重視した四国一の快適なインターネット環境も整備されています。

天然今治温泉の露天風呂の美と健康の癒しスペースや、新鮮な食材、特に魚介類を活かした四季折々の料理を楽しめます。お薦めはホテル内の隠れ家、松泉亭です。また、四国遍路での癒しの場所としても人気があります。

私は、石油産業が新エネルギーの基幹として、世界の産業を明るい未来に導くことを確信しています。皆様、人生100歳時代を意識し、大胆な人生設計を掲げ、油断せず常に用心深く、準備を怠らず、世界の動向に耳を傾けながら、楽しい人生を謳歌しましょう。


愛媛県人の中村修二博士(右)と歓談。左が筆者

1974年卒業
工学部応用理化学科
幾島 賢治
工学博士
石油学会技術進歩賞受賞
オマーン王立スルタン・カーブス大学功労賞受賞