未来を切り拓く母校の熱烈なファンでありたい
誇るべき教育・研究理念「技術は人なり」
私は1974年電大の第二部に入学しました。当時、地元の工業高校から株式会社関電工に入社すると同時に、電気主任技術者3種に合格しましたが、さらにその上となる2種に目指すには大学で学ばなくてはとの想いで、就職先に相談し資格試験会場でもあった電大への門を叩きました。
結果として電大での学びは単なる知識の向上に留まらず、自らの人生を切り拓いていくうえで大きな財産となりました。特に、大きく影響を受けたのは、初代学長である丹羽保次郎先生が唱えた「技術は人なり」でした。
“私は技術も文学や美術と同じく、やはり人が根幹をなすものであることを申し述べたいのであります。すなわち「技術は人なり」といいうるのです。立派な技術には立派な人を要するのです。よき技術者は人としても立派でなければならないのです。ですから技術者になる前に「人」にならなければなりません。技術者は常に人格の陶冶※1を必要とするのです。“ (東京電機大学サイトより抜粋:技術は人なり)
この言葉が入社した会社の社是「人間第一」に加え、長年現場業務で自身を支えるキーワードとなった「自利自他※2」と相俟って、まだまだ進化の途上ですが、校友会理事長として「徹底して他(在校生、大学、校友会、社会)のために尽くす」決意をすることが出来たのだと思っています。
※1 実践を通して人間としての正しい生き方を磨き上げていくこと、また人間として正しい行動が取れるように自己研鑽すること。
※2「本当の自分の利益である自利とは、利他をいう。利他とは他の利益を図ること。徹底して他のために尽くすことが、そのまま自分の利益となる。他を生かすことで、自分も生かされる。」という仏教用語です。
脚光を浴びる無敵のキーワード「技術は人なり」の理念
今、大きな転換期を迎えようとしている日本において、技術立国として復活していくことに大きな期待を寄せている方も多いでしょう。少子高齢化が大きく進み、2023年には名目GDPがドイツに、そして2025年にはインドにも追いつかれ5位になるとの予想も出ていますが、過去を振り返れば、1990年代はじめのバブル経済崩壊以降、賃金も物価も上がらない長期デフレが続き、「失われた30年」と称される経済の停滞は深刻なものでした。
しかし、明るい方向に向かっていく過程で「技術は人なり」の精神がまさに脚光を浴びる時代になっていくと信じています。組織の永続的な発展を目的としたパーパス経営は、組織の存在意義を明確にし、いかに社会に貢献するかを定め、それを経営の軸として事業を行うことですが、まさに「技術は人なり」の精神そのものではないでしょうか。
イノベーションも同じだと思っています。詳細は割愛しますがドラッカー氏が「イノベーションのためになすべきこと」の7項目、イノベーションを見つけ出す7つの機会を見ても、「技術は人なり」の精神なくして実現できないものであり、SDGs、ウエルビーイング等々、まさにこの考え方がポイントになってきます。
TDU最大の応援団として在校生・校友・大学を応援したい
様々な縁で東京電機大学校友会第48代理事長の重責を務めることになりましたが、まさに校友の力を結集して、校友会ビジョンを実現していく決意です。
東京電機大学がこの5月末にニュースリリースした、コンピューターセキュリティインシデント対応チーム「東京電機大学シーサート(略称:TDU- CSIRT)」は4月17日、日本の大学として初めて、FIRST(The Forum of Incident Response and Security Teams)への加盟が認められました。
この情報セキュリティー分野については、既に社会人向け履修証明プログラムとして大人気の「国際化サイバーセキュリティー学=CySec」でご存知の方も多いと思いますが、東京千住キャンパスで実証済みのGX分野で注目されている建築・建設環境工学、VR/ARにも大きく貢献する情報通信メディア工学など先端科学技術研究も着々と進んでいます。
この流れを加速させていくには、「オープン・イノベーション」の考え方が有効です。まさに校友が大学と一体となり、大学の最大の応援団、更には母校愛に満ちた熱烈なファン化を目指し、社会人の実践知と大学の専門知を融合し、校友同士、在校生に貢献し、新たな潮流を形成していく。そんな校友会にしたいと思っております。
既に女性の経験を活かした新たなネットワーク「でん☆ふぁみ」の創設も決まり、次世代を担う人達を応援する、人生100年時代に相応しい進化を止めない校友が徐々に参集してくれています。私も皆さんの熱い想いを最大限に活かすため、粉骨砕身前向きに進みたいと思いますので、皆様のご協力・ご支援を宜しくお願い致します。
一般社団法人東京電機大学校友会
理事長 森戸 義美(もりと よしみ)
昭和53年工学部第二部電気工学科卒