よろず相談室へようこそ!電大ファミリーはチーム一丸で共に
ピアノの道から「トウキョウデンキダイガク」へ
こんにちは。工学部応用理化学科を1983年に卒業した石井悦子です。電大OG会の一員として、微力ながらメンバーに引っ張ってもらって、細々と活動しております。
「トウキョウデンキダイガク」。恥ずかしながら、初めて知ったのは、まだお肌もピチピチの高校生の時。どこを受験するか迷っていた時に、「東京電機大学はいい大学だと思うよ」と、4歳上の兄のひとことから興味を持ちました。
「デンキ」は電球が浮かび、「工学部」は工場が浮かんでいた状況(笑)。当時の頭の中を覗いてみたいです。在学中の女子高からは誰も進学していないので、資料もなく、簡単に検索できない昭和時代。書店へ走りました。
もともと将来の夢は3歳から始めたピアノの道でした。小学校5年生のある日曜日、お笑い番組を観ながら笑い転げて椅子から落ち、左手小指を骨折。指も短くなりピアノの道は断たれました。余談ですが、中学1年の時のことです。同じお笑い番組を観て笑い過ぎ、今度は顎が外れて病院へ駆け込みました(汗)。そんな自分が何となく選択した理系の進学。だんだんその道が繋がっていきます。
大学生活は驚きのスタート。ライブもプレゼンも「イェーイ、こっちよ~!」
大学生活といえば、ドラマに出てくるような広いキャンパスやカフェテリアがあって、楽しみながら勉学にも励むという憧れがありました。
入学した電大の神田校舎*1はというと、ビルが建ち並ぶ都会。お隣は神田警察。授業中にサイレンが聞こえてきたこともありました。そして、もちろん男性ばかり(汗)。中学の頃の少年から一気に大人の男性陣!県立女子高で1学年400人の女子ばかり、入学式や卒業式は3学年でハレルヤ大コーラスを行う女子高卒との違いにビックリの連発でした。
そしてまた、入部した軽音学部には濃い先輩ばかり。驚き続きの電大生活スタートでしたが、同じ応用理化学科の女性陣とワイワイやりながら徐々に慣れ、男性陣は特に女子という眼ではなく「友だち」として接してくれました。卒業から40年以上経っても、その頃にすぐに戻れる大切な友人の皆さんです。
そして軽音学部の経験は、後に会社員時代のプレゼンテーションで大いに役立ちました。壇上はステージと一緒!「皆さん、聞いて!(イェーイ)そこの方、こっちよ~」のノリで緊張もなく楽しめました。
*1 神田校舎 千代田区神田錦町にあったキャンパス。平成24年(2012年)に東京千住キャンパス(足立区千住旭町)へ移転。跡地には現在KANDA SQUAREがあり神田のランドマークとなっている。
フル稼働の会社員生活。やりがいと「何だかなぁ」なモヤモヤ感
卒業後は某電機メーカーに就職し、ソフトウェア部に配属されました。電大よりは女性比率が高かったのですが、それでもほぼ男性社員の職場でした。入社当時はまだ女子社員のみ「お茶当番」があり、宴会では上司から女子はお酌のご指示。「何だかなぁ」でした。後に数人の女子社員みんなで撤廃しました。その後、数年もすると、同期も先輩も後輩も、長く勤める女性社員はごくわずかになっていきました。
そのような状況でしたが、1つの物を「チーム一丸」となって開発し、製品となって世の中に生み出していくことにやりがいを感じました。仕事を続け、結婚してからも残業、そして徹夜をする日もありました。出産後は、産休明けの職場復帰と共に情報システム部へ異動し、数々のシステム構築、導入に携わってきました。
ちょうど同じ時期に、同期の男性が、また1つ下の後輩男性が主任に昇進。「男社会だから…」と思っていたところ、直属の上司から「子どもを理由で休暇を取ると昇進できないから」と言われ、眼が点になりました。その後1年間は、子どもが熱を出して休む時も理由は「自分が体調悪く」でした。再び「何だかなぁ」と思う日々を過ごしながらも、翌年には主任に昇進したのです。
等身大の女性たち。関わって場を作っていく
この頃から、共働きや子持ちの女性社員について、いろいろと考え出しました。他の方はどうしているのだろうと思い、複数のセミナーにも参加しましたが、そこのパネリストは役員等の「立派な女性社員」ばかり。自分には無理、もっと普通の方々の話を聞きたくなりましたが探してもありません。
そして、同じような悩みをもつ後輩女性もいたこともあり、社内の女性ネットワークを立ち上げました。月1回、お昼を持ち寄りランチ会。会社への要望事項を話すなど、初めは順調でした。が、だんだんと家庭や子どもの話をするメンバーが多くなり、独身や子持ちではない方が抜けていきました。「何かが違う」と思いながらも立て直せず、そのうち「ママさん会」へと形が変わってしまいました。
同じような経験が小学校の役員決めの時にありました。専業主婦と働く母とそれぞれの立場を理解できずに話し合いはギクシャク。それぞれの立場を理解する、いろいろな生き方がある、もう少し歩み寄ればいいのになぁ。OG会で掲げている「すべてがロールモデル」の、私自身の中での発端だったのかもしれません。
一方、仕事では、40代半ばに業務改革を目標とする、部門を超えた統合化システムの導入プロジェクトがスタートしました。とても大きなもので、まさにチーム一丸。この時よく使われた同じ目標を持ち、それぞれが特性を生かして役割を分担する「協働」という言葉。大好きな言葉です。
統合化システムが無事に本稼働を迎え、私に管理職昇進の打診がありました。非常に悩みましたが一大決心!初のママさん管理職となりました。(この私が… )
1日を笑顔でスタートする「よろずミーティング」
その頃、チームメンバーにはメンタル不調が数名。皆さん、ひとり暮らしで会社の往復のみ、今のようにLINEなども無いので帰宅してから無言の生活。これではいけないと考え、毎朝10分のミーティングをすることにしました。
テーマは何でもありの「よろずミーティング」と呼び、最近あった面白いことを言ってまず笑顔になる。そして仕事で悩んでいること、愚痴りたいことを一言ずつざっくばらんに話して、1日を笑顔でスタートする。
「よろず」という言葉、ご存知でしょうか? 子どもの頃、近くのお店を父が「よろず屋さん」と呼んでいて、週刊漫画やアイスや洗剤などを買いに行っていました。意味を聞いたら何でも屋さん。とても身近な今の時代のコンビニのようなお店ですね。そんなミーティングを取り入れたのでした。こうして慣れないながらも管理職として頑張っていた頃、またまた「何だかなぁ」が発生!
男性上司から「部下より先に帰らない、残業していたら終わるまで残るように、自分はそうしている」と言われたのです。働く母には帰宅後は家事がてんこ盛りなのに…と思い、とうとう「○○さん、帰ってから天ぷら揚げますか?家事、やりますか?」と言ってしまいました。もちろん「何もしていない」とのお返事でした。
その後、そのおかしな「しきたり」は無くなりました。後に「天ぷら揚げますか?」は女性社員の中では名言と言われ、笑い話に。実際にはもちろん手抜きご飯でした。
将来について考え始める。準備重ねて決断、新たな生活へ
仕事も育児もテニスもフル稼働をしていましたが、ふと将来のことについて考え始めました。このまま行ったら定年までフルで働き続ける、退職した後に何ができるのだろう。
ちょうどその頃、息子の中学のテニス部で、ボランティアで週末の練習のお手伝いをすることになりました。楽しそうに真剣に練習する皆さんを見て、やりがいを感じ、テニスの楽しさを伝えていきたいと思うようになり、指導員の資格を取ることを目標にしたのです。
何度も考えて、新しい生活にチャレンジする気持ちが大きくなり、資格も取れて退職。市のテニス協会でジュニアをはじめ市民の皆様にテニスの楽しさを伝えながら、今までの経験を活用できる仕事もみつかり新しい生活がスタートです。「何だかなぁ」はいろいろありましたが、30年近くお世話になった会社はとても良かったです。
そして、フルタイムで会社の往復だった毎日は大きく変わりました。また、もう一つ自分の中で決めていたことが、何かボランティアを始めることでした。ちょうど犬を飼い始めたことから、周囲のいろいろな実情を知り、犬関係の「迷子犬の掲示板*2」というボランティアに参加しています。
この活動は、人間に日々優しさを分けてくれて、そして短い一生を駆け抜けていく、命の大切さを教えてくれる犬への恩返しです。愛犬たちとの生活は、また自分を大きく成長させてくれています。
*2 迷子犬の掲示板:全国の延べ14万人の愛犬家を繋ぐネットワーク。NPO法人。
https://maigo-dog-maigo.amebaownd.com/
OG会のはじまり。2015年1月「旭祭でOGカフェを目標」と記す
ある日、仕事先の方と打ち合わせを兼ねてランチをしていると竹川さん*3とバッタリ。久しぶり~から始まり、そこからまた連絡を取り合うようになりました。最初の打ち合わせの時に1冊のノートを渡してくれて「コレにいろいろ書いていこう!」と。眼に見えない力を感じた瞬間でした。頼もしい!
メモの日付は2015年1月9日。旭祭でOGカフェを目標と記され、あれからもう10年です。
OG会は縦の繋がり、「でん☆ふぁみ」は360度の繋がり。よろず相談室はどこまでも誰にでも!
そして、2024年11月に開催された旭祭と同時開催のホームカミングデーでOGカフェをオープン。ドキドキ、ワクワクの会場作りから始まり、一連の流れはまるで自分たちの文化祭のようでした。
当日はいろいろな方がいらしてくださいました。在校生の方も、受験を考えている親子の方も、ご近所の方も、そしてふらっとお一人で来てくださったOBの男性もいらっしゃいました。「文化祭に来ても誰も知っている人がいなくて、こういうところがあるのはいいなぁ」と2回も寄ってくださいました。気持ちがほっこりして嬉しかったです。今後もほっと一息、気軽に寄ることができるような場所を目指したいです。
残念ながらOGの方にはお会いできなかったので、これからはあらゆる年代のOGの方や在校生との繋がりを作って、いつかOGの集いを開きたいです。また、スタートしたばかりの「でん☆ふぁみ」は、さらにワクワク感が広がっています。
技術や人生経験豊富な老若男女が集う、何でもありのよろず相談室。もしも何かに迷ったり、悩んだり、でも近くの人には言えないし…の時に、ふと思い出してもらえたらと思います。
「ふぁみりー」ですから、こたつに入っているようなぬくぬくした温かい場所がいいな。「すべての卒業生がロールモデル」これからも皆さんのお話をお聞きして、自分もまた成長していきたいですし、電大出身の、どこにでもいる普通の自分も「モデル」のかけらになれたらちょっぴり嬉しいです。そして、老若男女関係なく仲良く協働、何かやる時は「チーム一丸」で歩んでいけたらと思います。
*3 竹川さん 「でん☆ふぁみ」設立メンバーのひとりでOG会代表の竹川一枝さん。竹川さんが紹介するOG会、「でん☆ふぁみ」のブログ、2024年のOGカフェも合わせて読んでみたい。
★「でん☆ふぁみ」関連記事は下記よりご覧いただけます。
・「後輩を応援したい」熱き想いが進化します(応援者募集中!)
https://www.tduaa.or.jp/support/blog054/
・伝説の「OGカフェ」オープン!大盛況のうちに幕を閉じる
https://www.tduaa.or.jp/support/blog057/
1983年卒業
工学部応用理化学科
石井 悦子