母校支援

「みそっかす」の美学

みなさんこんにちは。昭和55年3月に建築学科を卒業した稲毛通男です。卒業後はゼネコンへ就職をしますが、昭和57年に学園へ転職。いくつかの部署を経験後、校友会事務局にたどり着き、本年3月に嘱託定年を迎え校友会事務局長の職を終えました。

コロナ禍により着手の遅れが余儀なくされた校友会創立110周年を機に策定した「校友会将来ビジョン」の一つである「会勢拡張」の担当として、学園との業務委託により現在も校友会でその業務に当たっています。

「みそっかす」って言葉、知ってますか?

先日、何を思ったのか私は、突然事務局長と傍らにいた女性職員に「みそっかす、って知ってる?」と聞きました。局長と職員は「知っていますよ。味噌をこした時のかすで、価値がないもの、物の数に入らない人、仲間に入れてもらえない人のことでしょ。」との返事。「悪口、だと思ってる?」と続けて聞くと、「はい、そう思いますが、、、」と一言。

そこで私は、「みそっかす、って良い言葉なんだよ。ちっちゃい子供がオニごっこで捕まってもオニにならなくて済む許容の意味があるんだよ。ちっちゃいころ俺は、それで近所のお兄ちゃんたちに遊んでもらったもの。」と答えました。

思いのほか局長と職員の反応がなかったのでネットで調べてみました。一般的には局長たちの理解である「味噌を漉(こ)した時に生じる滓(かす)のことで価値がないものの喩え」と解説されていますが、そんなことはないだろうと、さらに掘り下げて調べると、私の理解である「誉れ」的なブログ(解説)を見つけました。

そこには『あえて何らかの定義づけをするとすれば・・・みそっかすとは、「鬼ごっこにおいて、何回タッチされても鬼にならない人」、また、「遊びに参加はするけど、不利なルールや役割を一切持たない人」のことを指すのかなと思います。』とありました。(出典:ぐんま少年少女officialブログhttps://gssc.exblog.jp/21802076/ )

これを読んで一瞬にして60年前の自分を思い出しました。私には3歳上の兄がいますが、兄についていっては近所の子供たちの仲間に入れてもらい遊んでいました。よく遊んだのが「カン蹴り遊び」。オニが見つけた人の名前を呼びながらカンを踏む遊びですが、幼い私は名前を呼びあげる間に何度も何度もカンを蹴られ、オニが永遠に続くのです。もう悔しくて悔しくて、挙句の果てには泣きながら家に逃げ帰ったものでした。

とある時から、「みっちゃん(こう呼ばれていました)は『みそっかす』だから、捕まってもオニにならなくていいよ。だから一緒に遊ぼう!」と年長のお兄ちゃんに言われ、時間を忘れていっぱい遊んだことを覚えています。今に思えばこのお兄ちゃんが、射場本学長が仰られる「(心優しい)上等なガキ大将」なのだ、といえるのではないかと思いました。

最近では、子供たちがみんなで集まって遊ぶ広場が少なくなり、年代を超えて一緒に遊ぶ機会が得られ難いのが残念です。私たちの年代が幼少の頃に経験した、他人である兄姉・弟妹との一寸した生活が自然と健全な序列を作り、そのリーダーとして「ガキ大将」が造られていたような気がしてなりません。伝承文化として今後校友会は、後輩に「みそっかす」の優しさを伝えていけるのか、と何となくですが思うところがあります。※画像はイメージです。

商店街の50センチルール

ところで、私は横浜・大口の商店街にある小さな食料品店の次男として生まれ育ちました。今やシャッター通りとなってしまったこの商店街には「50センチルール」というものがありました。毎晩、店を閉めるときには店の間口より50センチ余計に掃く、というものです。各店の方が実施しますので、もちろんながら翌朝の商店街はとてもきれいです。

仕事に対する姿勢も同じであると考えています。所属する部署、自分の担当業務を50センチ余計にこなせば隙間なく、他部署とも連携がとれ円滑に仕事が進められるのです。これも校友の絆に当て嵌められたらと思っています。

東京電機大学は私の誇りです。これからも東京電機大学の熱烈なファンとして、恥じることなく生涯成長していく道にチャレンジしていきたいと思います。校友の皆様、末永くお付き合いの程宜しくお願い申し上げます。※画像はイメージです。


筆者と式典司会者

1980年
建築学科卒
稲毛 通男