母校支援

学生生活を通して培ったものは一生の宝です

ワンダーフォーゲル部で山歩きの楽しみを知った高校時代

東京電機大学高等学校では3年間同じクラス(普通科)で担任は高久廣毅先生でした。クラブ活動はワンダーフォーゲル部に所属し、登山実績豊富な顧問の前島万人先生の引率で様々な山に登り貴重な経験をしました。

春は毎年3泊4日で金峰山・瑞牆山、夏は朝日連峰、北アルプス、南アルプスを1週間縦走し、冬は毎年栂池スキー場で一周間合宿を実施。普段は、奥多摩、丹沢、上州、秩父方面へ日帰りでの軽登山活動。個人での活動を含めると月1回程度は山に登っていました。土曜日の下校時は後楽園、お茶の水、秋葉原、御徒町、上野を散策して楽しく見聞を広めることができました。

ワンダーフォーゲル部では「大自然と調和して一歩一歩進む」ということを体で学び、その後の人生のあり方そのものです。今では、高校時代のクラス会やワンダーフォーゲル部OB会への出席、軽登山が私の楽しみとなっています。

一週間の南アルプス縦走夏合宿 (北岳中腹にて、ザック重量30kgf、中央で立っているのが筆者)

建築の勉強と空手道で駆け抜けた大学生活

私が入学した1978年当時の大学は、総合レジャーランドと揶揄される状態。そんな中、充実した学生生活を送るために空手道部に入部しました。

東京電機大学の空手道部は、公益社団法人日本空手協会に正式に所属し、公益に資する人材を育成することを目指す1959年創部の伝統ある部です。空手道は、闘争の術を現代に応用した「共に生きる道」であり、究極の構造力学という学問でもあるのです。そんな空手道部で、協会の師範に指導を受けながら、毎日昼休みと放課後の練習に励みました。

著名な先生が教鞭をふるう建築学科の授業、楽しい建築の課題、恵まれた環境での空手の練習、神田周辺の散策…と魅力的な大学生活。私はフルスロットルで駆け抜けたのでした。

4年次からは東京大学(本郷)の研究室に所属したため、ほぼ毎日、本郷で研究に携わりながら、練習のために神田との間を往復することに。研究室では2冊の技術書籍、さらには化学系の書籍も熟読し理解するよう指示され、「自ら学ぶ」という姿勢が培われました。真剣に研究する姿勢が評価され東大に誘われましたが、思うところがあって建設会社に就職しました。

研究室でお世話になりました黒坂五馬先生(2008年逝去)には結婚式で仲人をお願いしました。空手道部OB会、建築学科同窓会「あぶの会」にも参加しています。大学時代に培った「自ら学ぶ、日々研鑽する、共に生きる」ということが今の仕事の信念となっています。

建設会社勤務時代は恵まれた環境で仕事に邁進!

1982年に当時の長谷川工務店に入社し、販売及び現場監督を経験した後、「集合住宅新生産システム」の開発メンバーに選抜され、以後、技術開発及び現場支援畑を歩みました。

この間、集合住宅新生産システムの開発、知見を広げるための世界一周海外視察、日本建築学会活動でのJASS5及び型枠の設計施工指針編集、日本建築学会論文発表「アンボンド工法PRCスラブの型枠支保工施工荷重の実測」他15件、表彰を受けた社内技術開発「工期1/2PJ一連の技術開発」他13件、同業10社との杭頭半固定工法開発、他社ゼネコンへの施工指導を経験しました。

現在も長谷工グループ様とは、業務で取引させていただいています。また、母も長谷工グループの施設「ライフ&シニアハウス南浦和」に入居してから見違えるほど元気になり楽しい日々を送っています。素晴らしい理念を実践する長谷工グループには感謝しています。

100歳まで働くことを目標に、55歳で独立

33年間勤めた建設会社を55歳で早期退職し、「株式会社NEUTRAL DESIGN」という一級建築士事務所を開設しました。私の父は、85歳で亡くなるまで技術屋で活躍していましたので、私も100歳まで働くことを目標に掲げ、気力のあるうちに独立したのです。

一級建築士事務所といってもデザイン設計ではなく、主な業務は、様々な分野の生産性を考慮した構造解析・構造計算を主体とした各種コンサルティングです。

構造物に加わる外力の合理的な低減に興味があり、外力低減の極みである伝統武道についても併せて深く調査・研究しています。この関係で海外交流を頻繁に行なっています。

東京電機大学時代を思い出し、そこで培った信念を持ち続けながら、今も全身全霊で新たな目標に向かって進んでいます。

1982年卒業
工学部建築学科
熊谷 正樹