母校支援

恩師の激励があったから挑戦できた。いつか母校に錦を飾りたい!

みなさん こんにちは 2002年に理工学部 応用電子工学科を卒業しました高野千尋です。東京電機大学を卒業した後、家庭の事情から他大学の大学院に進学しましたが、進学後も東京電機大学の恩師、先輩方にずっとお心にかけて頂いており、母校に対する気持ちは大きく、現在は東京電機大学の同窓会広報にも携わっています。

社会に出てからも「自分自身と家族に訪れるライフイベント」と「キャリアアップ」の間で模索・迷走を繰り返す中、そのたびに叱咤激励してくださったのは、東京電機大学の所属研究室の恩師でした。理工系で温かい人情味のある大学で、卒業後も年月の経過とともに学校の良さを実感しています。今回は、東京電機大学在学中から現在に至るまでの活動を中心に、今後の目標について触れていきたいと思います。

大学に行っても三者面談?!バレないと思っていたのに・・・

東京電機大学在校中は理系の大学生ならではの試練?とでもいうのでしょうか、毎週提出しなければいけない実験レポートを、どうにか作成し提出する有様でした。実は大学3年生まで進級単位数をギリギリのラインで取っている状態で、成績は決して良いとはいえませんでした。そんな中ちょっとした事件が起こったのです。

忘れもしない大学3年生の鳩山祭(11月)の時のことです。三者面談があったのですが、両親がしっかり申し込んでおり、成績の悪さがバレてしまったのです。そもそも大学まで行って三者面談はないと思っていましたし、面談情報を見つけて申し込んでいた両親にも驚いたのはいうまでもありません。

その三者面談の面接官が、今は亡き応用電子工学科の舟久保昭夫先生と、工学部電気電子工学科教授の植野彰規先生でしたが、頭を抱える私を横に苦笑いしながら「これから、しっかり頑張れ」と温かい言葉をかけてくだったのです。

頂いた言葉に父は、「しっかり頑張って学び、母校に錦を飾る人間になるように!先生方にしっかり頑張っている姿を見ていただきなさい!」と念押しされてしまいました。(笑)

その面談から一念発起し、専門科目を勉強するようになりますが、不思議なことにこれまでとは違って楽しいと思うようになったのです。更に学部4年で所属した応用医工学研究室の研究テーマが大変興味深い内容だったこともあり、大学4年の夏前には大学院進学を決心するほどのめり込んだのです。

研究と家事を両立しようと考えたときに立ちはだかった選択肢

一方で、病気がちだった母の体調が徐々に悪化しはじめていました。起きるのも辛そうな母の姿を見るたびに、家事の負担を少しでも軽くして休ませてあげたいという思いが強くでてきました。

大学院への進学を考え直した時に、東京電機大学大学院での大学院生活も大変魅力的ではあったものの、家のことを考え実家から少しでも近い大学院に進学することを決心。自分の学びたい分野が選択できる大学院を探しました。進学先はお茶の水女子大学大学院です。大学院では「人間工学・福祉工学」をテーマに研究する研究室に所属しました。

進学後も大学時代の恩師の先生や先輩方とは学会発表の度にお会いでき、近況報告もさせていただいておりました。共同研究者になってくださった先生も当時神田校舎にあった工学部情報通信工学科にいらした先生方でした。研究生活はとてもやりがいがあり、研究室で何度も年越しを経験するほど没頭しました。

2009年に博士号取得後、お茶の水女子大学大学院のポスドク※と都内大学や専門学校の兼任講師の職に就きましたが、母の具合がそれまでと比にならないほど急激に悪化(長年患ってきたリウマチの他に、ステージ4のがんでした)、その当時地元で相談する人がいなかった私は心身ともに参ってしまい2度離職を経験しました。

※ポスドク:Postdoctoral Researcherの略。大学院博士後期課程(ドクターコース)の修了後に就く、任期付きの研究職ポジションのこと。 ポスドク研究員、博士研究員とも呼ばれる。

母の旅立ち

 2011年7月のこと、母は旅立ちました。秋田大学大学院工学資源学研究科電気電子工学専攻の特任助教をしていた時のことでした。母を見送って間もなく、看取りの辛さを理解してくださった上司の下で働き続けようと動き始めた途端、今度は私自身がひどく体調を崩してしまったのです。このままでは働くことも難しいと判断した私は、やむなく実家に戻ることなりました。

実家で休養生活を1年半ほど過ごした頃、東京電機大学の恩師(4年生の時に所属していた研究室の福井康裕先生)から、「世の中の為に頑張りなさい!」と叱咤激励を受けました。

大変ありがたい言葉を頂くと共に、目が覚めたというのでしょうか、国立研究開発法人産業技術総合研究所で研究職に復帰した後、セラピーロボット・パロの評価研究に携わりながら、「世の中の為に自分が出来ることはなんだろうか?」と考えた時、「研究で培った知識を活かして、これから迎える超少子高齢化社会の中で、働きながら介護・看病・育児をケアする立場の人たちの心の負担を減らす為に、顔の見える連携を繋ぐお手伝いをすることだ!」と自分なりの答えを導き出し、思い切って地元豊島区にあるケーブルテレビ局に転職しました。

豊島ケーブルテレビ在籍時は、地域を繋げる映像制作(区医師会の地域医療に関する映像や、区内小中学校全30校のSDGs活動記録映像、区民ひろばSDGs活動記録映像等)、一般社団法人あうるへるすの会(豊島区の地域保健を勉強する会https://www.facebook.com/owlhealthtoshima)を立ち上げ活動、産総研でご縁を頂いたセラピーロボット・パロの研究論文執筆にも参加しました。(コロナ禍での保健所の職員のストレス軽減について、PARO as a Biofeedback Medical Device for Mental Health in the COVID-19 Era https://www.mdpi.com/2071-1050/13/20/11502/htm

現在は、今までの経験すべてを生かして各種センシング技術・AI・ロボティクス技術を融 合した事業展開を行っているTRIBAWL株式会社(https://tribawl.com/ )に勤務しています。この会社では、人とAI・ロボティクスとの共生で「世の中の為に何が出来るのか?」を問い続けながら挑戦を続けます。

東京電機大学の卒業生として母校に錦を飾れるよう頑張りますので応援いただけたら嬉しいです。

2002年卒業
理工学部 応用電子工学科
高野 千尋