母校支援

技術は人生の苦境のときに大きな助けになる!寺澤岳生さん

はじめまして、寺澤岳生(てらざわたけお)です。私は、1999年に工学部第二部情報通信工学科を卒業し、2001年に大学院情報通信工学専攻の修士課程を修了しました。三菱電機株式会社から敬愛大学を経て、現在は神田外語大学の学長室で教学インスティチューショナル・リサーチ(IR)の係長職に就いています。私のこれまでの経歴や経験(転職や父母の介護など)が、皆様の参考になれば幸いです。

生い立ちから、大学進学を目指すまで

 私は、1976年(昭和51)に千葉県千葉市で生まれ、小中高校まで千葉市で過ごしました。父は中学を卒業後、大工から建築士の資格を取得し建設業界で働き、母は短大を卒業後、栄養士の資格を取得し、パートとして働いていました。

父母は4畳半の風呂なしのアパートからスタートしたそうですが、私が幼少期の頃は、隙間風が吹き込む借家住まいで、家族5人で3枚の鮭の切り身を分けるような貧しい生活でした。

その後、父親が一級建築士の資格を取得し、少しずつ生活が向上してくるのですが、その頃からでしょうか、子ども心にも、技術や資格があると毎日の食事が良くなることをぼんやりと理解し始めた気がします。

姉たちは短大卒で、大学に進学した家族がいなかったため、私も父からは高校を卒業したら社会に出て働くように言われていました。しかし、私は大学に進学したかったので、何とか父を説得しました。また、家のローンの返済中で家計が苦しかったため、自分の実力と相談しつつ働きながら通学できる大学を探しました。

高校3年のとき、夜学を開設している大学があることを知り、秋葉原にも近く、ゲームやプログラミングにも興味があったことから、東京電機大学工学部第二部情報通信工学科に進学を決め、無事入学することができました。

その後の人生に必要な基盤を築くことができた電機大学での6年間

千葉から東京に通学することも初めての体験であり、秋葉原の街並みや大学の授業など、見るもの全てが新鮮でした。日中はスーパーでアルバイトをして、夕方から授業に出席するという毎日。また、入学当初は、ゲーム業界に就職を希望していたので、テーブルゲーム研究部に入部するなど学生生活も充実していました。

その中で、電磁気学、高周波電磁気学、アンテナ工学を受講し、電磁波の発生や通信への工学応用について興味を持つようになり、4年次には電波応用研究室での卒業研究を志望することになりました。

仙台空港レーダー実験1999年

三輪教授、幸谷先生のご指導のもと、仙台空港でのレーダー実験への参加や、修士課程では電波伝搬分野での学会発表の機会を得るなど、貴重な経験も積ませていただきました。東京電機大学でのこの濃密な6年間の学びが、私の職業人としての基盤を築いたと思っています。

また、私生活でも、情報分野やインターネットに興味を持ち、研究室のルーターやメールサーバーの構築・管理など、楽しみながらさまざまなことに没頭しました。今振り返ってみると、これらのことが、後の人生で苦境を乗り切るための力になったのではないかと思います。

修士論文発表会2001年(三輪教授と寺澤)

電機メーカーからメディアセンターへのキャリアチェンジを経験した20代

修士課程時代の取り組みは、電波伝搬や電界強度を測定するシステムの構築や、C++でアドバンテストの測定器のソフトウェアを自作することでした。これらの取り組みが評価され、私は三菱電機株式会社に入社することができました。

入社後は、兵庫県の製作所に配属され、防災無線システム開発プロジェクトに携わったほか、福島県に数ヶ月出張したことで現場についても学ぶことができました。尊敬する先輩からは、「急がば回れ」、「丁寧な仕事をすることが大切」と教えられ、今でもこれらの言葉を心に留め、仕事に取り組んでいます。

電機メーカーでの勤務を通じて、多数の人たちが組織的に役割分担をしながら大規模なシステムを構築するという貴重な経験ができました。また、私生活では、大阪や神戸の観光や小型船舶の免許取得など、たくさんの楽しい経験をしました。

ところが、予期せぬ父親の病気で急遽介護の問題が発生し、家族の希望もあって、私は兵庫県から故郷の千葉県に転職することを決意。家族からのプレッシャーを感じつつ、仕事の引き継ぎもしながら転職活動を行ないました。その結果、幸いなことに千葉県の敬愛大学のメディアセンターの情報部門での仕事が早々と決まりました。これは、大学時代に趣味で取り組んでいた研究室のネットワーク管理やPC自作の知識やスキルが役立ったからだと思います。

防災無線システム開発プロジェクト完成納品(福島県南郷村)2002年

新たな道を探り経験を重ね始めた30代

ようやく修士時代の奨学金の返済が終わった頃、残念ながら父が他界しました。この出来事をきっかけに、自身の将来を考え、より大きな大学で自分の力を試したい思い、再度、転職活動を始めることに決めました。その結果、同県内にある神田外語大学に入職することができました。

入職後は、退職者などの補充等の事情により、私は理事長室・企画部、(入試広報部)、メディア教育センター、情報戦略センターで業務経験を積むことになりますが、これらの機会は運に恵まれた結果だと思っています。

そんな中、今度は、母が血液の病気で介護が必要になり、姉たちの家を拠点に、家族で団結して入退院や在宅介護に取り組みました。

一方、私は大学職員として文部科学省の補助金申請などの事務仕事も多く担当していました。そのため、昼休みなどのすきま時間を活用して、ExcelやITパスポートなどの資格取得に取り組みました。さらに、学生の就職活動に役立つと考え、勤務している大学の課外講座でMicrosoft社のMOS Excel講座を企画・運営することも始めるなど、活動の範囲を徐々に広げていきました。

現在勤務している神田外語大学のキャンパス

未経験の職種に挑戦しながら、リスキリングに取り組む40代の現在

近年、政府が推進する人的資本主義、DX(デジタルトランスフォーメーション)やIT人材育成等の政策に加え、大学業界でもデータサイエンス教育の学部新設が相次いでいます。一方、大学運営でも文科省からの指針などにより、教学データの分析に関するニーズが急速に高まっています。

40代前半の頃、残念ながら母も他界してしまいました。この頃、大学のIT部門の経験者から、データ分析基盤の企画・設計・構築が可能であることや、大学内でMOS Excel資格試験の講座を運営していたことから、データにも詳しいという理由で、教学データを分析するIR部門に人事異動が決まったのです。

正直なところ、Excelが得意なだけでは、データマネジメントやデータ分析の業務はできません。しかし、大学執行部では同じIT分野だと考えたのかもしれません。現在、何とか大学のデータ分析業務をこなせているのは、大学時代のプログラミング経験や社会人になってからの情報システム部門でのサーバー、ネットワークの経験があったからだと自己分析をしています。

しかし、現在のIT分野は幅広く、情報システム部門とデータ分析部門は業務内容が異なる部分も多いので、40代で未経験の職種にチャレンジしている最中です。

大学データ分析官(IRer)として、スキルアップのためにリスキリングにも取り組んでいます。東京工業大学や山形大学で半年間のIRer養成講座を受講し、平日の夜間や週末に課題をこなしながら、大学IRや教学マネジメントに関する知識を習得すると同時に、Tableau(タブロー)やR(アール)※、そしてPythonなど、様々な技術の習得にも励んでいます。

また、久しぶりに研究会や学会活動を再開し、大学業界では新しい分野の教学IRに関するテーマで発表しています。昨年からは、全国約66大学が加盟する大学IRコンソーシアムの中期計画部会の副部会長を拝命し、国内の大学におけるインスティチューショナル・リサーチ活動をサポートしています。

なお、学生時代のC++での電波伝搬や電界強度を測定するシステムのプログラミング経験も、現在の教学データを扱う業務(前処理、データ整形等)にも活かせています。

※Tableau(タブロー):AIを使ったセールスフォースのデータ分析ソフト
R(アール):統計分析ができるソフト

2023年現在の写真

「技術は人なり」を改めて実感する日々です

私自身、20代、30代、40代の節目で仕事や生活面で様々な予期せぬ出来事に遭遇しました。その中で「塞翁が馬」に通じる体験もしましたが、それらの困難な状況下で、私が学んで身に着けてきた技術や知識が大きな助けになったことを実感しました。

まだまだ東京電機大学先輩方には遠く及びませんが、私自身の経験から「技術は人なり」という言葉を実感しています。生涯学んでいく姿勢や態度、職業人としての基盤である技術や知識を形成してくれた東京電機大学に、深く感謝しています。

最後に私見ですが、興味のあることに没頭すると、いつの間にか技術を習得できて、転職や収入を得ることにつながるのではないかと感じています。

最近、空の産業革命につながる可能性があると思い、ラジコンも好きだったことから、ドローン検定1級を取得し、応用技能講習も修了してドローンパイロット(無人航空従事者)になりました。今後はドローンの国家資格にもチャレンジしたいと思っています。

ちなみに、ときどきストレッチしたりエアロバイクに乗ったりして、健康管理にも気を配る日々を送っています。

2001年修士課程修了
東京電機大学大学院情報通信工学専攻
寺澤 岳生