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猫写真を撮り始めたわけ〜カナと金型製造会社の物語〜

或る日、倉庫に仔猫が・・・

2000年の秋、若い従業員が段ボール箱に入った仔猫を3匹、事務所へ連れてきました。当時、工場内に野ネズミが大発生していたので、その中から一匹だけを保護することにして、その仔猫を、金型を製造している会社なので『カナ』と名付けました。

平野製作所は1964年に父が創業した金型製造会社です。主に塩ビ樹脂成形用の金型を製作しています。カナは、ねずみ取り担当重役として採用されたわけです。

2000年と言えば、バブル崩壊も落ち着いた時期で、当時、主に小企業との取引をしていた顧客が使い勝手の良い大手金型製造業者と取引を始めた頃でした。そんな端境期で、カナはみんなのアイドル的存在となったのです。


保護された直後のカナ

性格のキツさも癒やしのうち?

3匹の中で一番元気がいいという理由で保護されたカナは、仔猫のうちは元気で良かったのですが、成長するにつれ性格の凶暴さや厳しさが現れるようになりました。メス猫なので仕方が無いのでしょうか?

厳しいといえば、顧客からの受注も減少傾向で、それまで製作していた塩ビ製樹脂継手の金型から、自動車樹脂製部品用金型に切り替えることにしました。新しい顧客は、それまでの顧客と違って、孫請け・曽孫請けが多く、納期も短く価格も安かったので、利益も薄い割に残業せざるを得ず、利益率はどんどん低くなっていきました。

そんな中、気丈な性格のカナにどれだけ癒やされたことか。あの困難を乗り越えることが出来たのは、カナのお陰でした。

カメラ好きから写真好きに

当時、趣味といえば接待ゴルフでした。学生時代は体育会剣道部に所属していましたが、卒業後は道場にも縁が無く、嫌々ゴルフをしていた感じです。亡き父が大のゴルフ好きでしたので、お客様も私が好きだと思って誘って下さったのかもしれません。当時は接待といえばゴルフが一般的でしたからね。

父の形見と言えば、平野製作所だけでなく、私が生まれた時に記念として購入した一眼レフカメラで、私が高校生の頃まで使用していました。その後、私にも長男が生まれ、同じPENTAXのフィルムカメラを購入し、いろいろ撮りました。

ちょうどカナがやってきた頃、行き付けのカメラ店の店長から勧められ、出たてのデジタル一眼レフカメラを中古で購入。当初、特定の被写体には思い入れがありませんでしたが、店長から「平野さんのテーマは猫にしてみたらどうでしょう?」とアドバイスされ、それから猫の写真を撮り始めたのです。

被写体はもちろん、カナ。しかし、可愛く撮ろうとすればする程、どうしても彼女の本来の性格が写真にも現れてしまうのです。それで、『猫を可愛く撮る秘訣』を鋭意研究しました。

そんなある年、ダメ元で応募したコンテストで3等入賞しました。カナは、ついにフォトコン入選モデルとなりました。題名の『野生行動学入門』がカナの野生味とピッタリ合致していたのかも知れません。

気が付けば保護猫ばかり

金型製造技術の多くは、産業機械工学科で学びましたが、やはり家の前に工場があったことが機械工学の基礎に繋がったのかもしれません。創業当初の平野製作所は、自宅の庭のスレート葺きの工場からスタートしました。


創業当初の平野製作所前で

工場の中には旋盤、フライス盤、形削り盤などがありました。また、設計製図に関しては、中学校で初めて学んだ製図(当時は一角法)に父からの指導も加わり、ある程度の設計はできました。父は今でいう『犬派』で、犬を飼っていました。私も、カナが我が家に来るまでは自分のことを『犬派』だと思っていましたが、本当の自分の姿を知るようになったのは、カナが来てからかもしれません。


株式会社 平野製作所

カナが平野製作所に来て2年目のある日、物置の陰で長毛白猫が大きな声で鳴いているのを見つけました。前脚は骨折し、尻尾も折れていました。獣医さんの診断によると、尻尾は切断が必要で、前脚は複雑骨折のため、手術には10万円ほどかかるとのこと。しかし、獣医さんは、この猫を飼ってくれるなら費用は病院が負担すると言いました。それで、この猫は晴れて我が家の2匹目の猫になったのです。

そして、その2年後、また獣医さんの紹介で、3匹目の長毛三毛猫を迎えました。さらに、家の近くで生まれた猫たちも保護し、最大で13匹になりました。現在では数が減り、6匹になりましたが、全てが保護猫です。


カナとミーシャ

中学校・高等学校との縁

2005年に長男が東京電機大学中学校へ入学しました。自動車部品の金型製作を2000年頃から始めましたが、カルロス・ゴーンショックもあり価格が下落し、納期が短縮されたため、残業も増え、中学校のイベントや行事には全く参加できませんでした。

せめてもと思い、中学校の卒業式には出席しました。しかし、祝賀会でPTA本部役員のお母様方に電高のOBであることがバレてしまい、長男の高校入学と同時にPTA本部役員になりました。当時、PTA会長は高校三年生の父親という不文律がありましたので、2010に年東京電機大学中学・高等学校のPTA会長に就任しました。

2011年の卒業式は当初3月12日に予定されていましたが、前日に東日本大震災が発生しました。PTA会長の最も重要な仕事は入学・卒業書授与式の祝辞ですが、学園理事長から、中学・高校共に祝辞を自粛するよう指示があり、これまでの学校史上初めて、祝辞を述べなかったPTA会長となりました。

ちょうどその頃、現在の校友会監事である川村登志一さんより同窓会幹事へのお誘いを受け、PTA会長退任後に中高同窓会の幹事になりました。そして、2019年には、一般社団法人東京電機大学校友会の理事に選ばれました。


リコーイメージングフォトコンテスト2018

北千住猫歩き

2010年ごろ、鋼材の高騰と金型価格の低下により、金型製造中止を決断しました。その一方で、これまで金型メンテナンスを行ってきた金型製造業者は、効率の良い新規金型製造のみを行うようになりました。

しかしながら、金型は使用することで摩耗や損傷が生じます。特に、塩ビ樹脂製継手は自動車部品と異なり、JIS規格が変更されないため、メンテナンスが不可欠です。

創業当初からのお客様に営業を行った際、古い金型のメンテナンスに困っていることがわかり、サポートするようになりました。一般的な金型業者は図面に基づいてメンテナンスを行いますが、当社は図面無しでもメンテナンスができるという強みがあり、それにより売上も好調に推移しました。ちょうど2019年ころのことでした。

校友会理事は、1月と8月を除く10ヵ月、毎月一度、千住キャンパスでの定例理事会に出席しなければなりません。私は理事会が始まる1時間前に北千住で猫と散歩することを楽しみにしていました。


北千住猫歩き

北千住は古きよき環境で、人々も優しいことが猫歩きをするとよくわかります。猫が暮らしやすい場所は、人が暮らしやすい場所でもあるのだと痛感しました。現在は理事も退任し、行く機会が減りましたが、北千住に用事はある際には、猫歩きをしていろんな猫たちと交流ができたら幸せだと思います。

昭和57(1982)年3月
高等学校普通科卒業
昭和62(1987)年3月
理工学部産業機械工学科卒業