合格率4%からの逆転!LIXIL工場長が語る「努力」と「対話の力」
皆さん、こんにちは。1991年に理工学部産業機械工学科を卒業しました山田と申します 。今回、東京電機大学ラグビー部の吉原先輩からお声掛けをいただき、校友会卒業生ブログに寄稿する機会を頂戴しました。大変光栄に思います
簡単に自己紹介をさせていただきます。大学時代はラグビー部に所属し、仲間たちと充実した学生生活を送りました 。卒業後はサンウエーブ工業株式会社へ入社し、群馬県桐生市の工場に配属されました 。その後、会社統合を経て、現在は株式会社LIXIL(リクシル)キッチン事業部桐生工場で工場長を務め、約250名の従業員をまとめる責任ある立場にあります。
プライベートでは、社会人になってから17年間、桐生ラグビースクールで子どもたちにラグビーを教え、そのうち12年間は小学校5・6年生の監督も務めました 。趣味は家庭菜園、ゴルフ、サウナ、筋トレなど多岐にわたり、仕事と趣味の両輪で充実した毎日を過ごしています 。

オフィスでの筆者
合格率4%からの逆転劇。「努力」が信念に変わった瞬間
話は中学生時代、中学3年で進路を考えたときに遡ります。私は幼い頃から電気に強い興味を持ち、「将来はエジソンのような発明家になりたい」と親に話していたほどでした。そのため、東京電機大学高等学校電気科を第一志望としましたが、当時の私の学力は偏差値40台前半。
模試での合格率も4%以下という厳しい現実に直面していました 。しかし、負けず嫌いな性格が幸いし、本気になって勉強に取り組んだ結果、無事に電気科へ合格。この経験が「努力は目標達成に繋がる」という信念の原点となりました。
高校入学後、ラグビー部に入部しましたが、勉強と部活の両立に苦戦し、1年次の成績は100人中80位と低迷。将来のことも成績も、最初は深く考えていませんでした。そんな折、担任の先生から「ラガーマンらしく勉強も両立しなさい」と厳しく指摘され、心に火がつきました。
ここで「東京電機大学に進学する」ことを新たな目標に設定しました。大学への推薦には「1~3年次の平均成績が100人中13位以内」という高いハードルがありました。
ラグビー練習後に毎日机に向かって勉強。その甲斐あって3年時にはクラス3番まで成績を上げ、推薦基準をクリアすることができました。ここでも「努力こそが夢を実現する原動力」であることを強く実感したのです。

東京電機大学ラグビー部の仲間と(1990年5月20日撮影)
泥臭く繋ぐパスのように。地域と仲間を繋ぐ「対話の力」
私の人生に最も大きな影響を与えたもの、それがラグビーです。高校1年で始め、当時放映されていたドラマ『スクール☆ウォーズ』にも感化され、情熱を傾けました。大学進学後も迷うことなくラグビー部に入部し、厳しい練習や試合を仲間と乗り越える中で、根性と同時に「仲間と協力して目標を達成するためのコミュニケーション力」が自然と身についたと感じています。大学時代に育んだラグビー部の絆は、卒業後も続いており、時折集まっては懐かしい思い出に花を咲かせています。
社会人になってからは群馬県桐生市の工場に配属され、地元のラグビークラブ「桐生ラガーズ」に3年ほど所属しました 。その後、自分の子どもにもラグビーを学ばせたいという思いで「桐生ラグビースクール」に入会させたことがきっかけとなり、自身も指導者として携わることになります 。
幸いにもクラブには桐生ラガーズ時代の仲間も多く、17年間にわたり、12年間は5・6年生の監督として子どもたちの育成に全力を注ぎました 。ラグビースクールで出会った子どもたち、保護者、そしてスタッフの皆さんとは今でも良好な関係が続いています。地元のスーパーに行けば必ず顔見知りに会うほどです 。こうした地域社会・コミュニティの中で、多様な人と信頼関係を築くことは、どんな場面でも自分の財産になると実感しています 。

筆者が指導者としても関わる「桐生ラグビースクール」
巨大組織LIXILでの挑戦。技術者の武器は「根性」と「調整力」
LIXILは2011年に、複数の住設設備機器メーカー5社が統合して誕生しました 。現在では、世界150カ国以上で事業を展開し、連結従業員は約53,000人、売上高は1兆5,000億円を超える巨大企業へと成長しています 。
私がもともと入社したサンウエーブ工業は、キッチンの製造・販売を主力事業としていましたが、合併当時は赤字会社でした 。それでも今、LIXILの一事業部として存続し、活躍できているのは、さまざまな背景や文化、キャリアを持つ仲間たちと協力してきた成果だと実感しています 。
桐生工場に配属された後は、主に技術部門で自動機の開発・設計を担当しました 。その後、生産技術者として自動化や省力化設備の推進、新製品の立ち上げやコストダウンの企画などに携わってきました 。さらには生産管理・品質管理・原価管理企画など、工場運営の幅広い業務を経験しました 。
このような多様な業務を一人で成し遂げることは不可能です。各部署との調整や、異なる立場のメンバーと同じゴールを目指して協働するためには、ラグビーで培った「声をかけ合い、全体をまとめるコミュニケーション力」が何よりも重要でした。その成果が評価され、34歳で技術課長に昇進しました。
40歳の時、統合前の準備段階で技術系の窓口が必要とされ、技術本部へ異動しました 。技術本部に異動して間もなく、TOSTEM・INAX・サンウエーブ工業・新日軽・東洋エクステリアの5社が統合し、株式会社LIXILが誕生しました。その技術本部では、キッチン4工場の技術マネジメントやサプライチェーン企画、新拠点・新規設備導入の立ち上げを推進しました。
旧来の会社ごとに異なる文化や仕組みの違いに苦労することもありましたが、多くの人材との交流や共同プロジェクトを経験することができました 。様々な壁や予期しないトラブルに直面しても、ラグビーで培った根性とチームワーク、そして「コミュニケーションによって皆の力を最大限に引き出すこと」が、仕事を前向きに進める大きな武器となっています 。

LIXIL桐生工場全体上空写真(敷地面積12万平米)
努力は裏切らない。未知の壁を突破する「人とのつながり」
最後に、これから社会へ羽ばたく後輩の皆さんにお伝えしたいことがあります。
私は決して最初から優秀な生徒ではありませんでした 。けれども「どうしても合格したい」「大学に行きたい」という熱い目標を掲げ、それに向かってがむしゃらに努力したことで、何度も道が開けてきました 。「努力は決して裏切りません」。目の前の壁が高く感じても、決して諦めずに挑戦を続けてほしいと思います 。
また、多様な人とのコミュニケーションは、あなた自身を大きく成長させる原動力です 。大学時代の友人やサークル、アルバイトでの出会いはかけがえのないものになります 。コミュニケーションを大切にし、積極的に多くの人と関わって、充実した学生生活を送ってください 。私自身、人生のさまざまな場面で「努力」と「人とのつながり」に支えられてきました 。
皆さんもぜひ、自分の夢や目標に向かって前向きに進み、豊かな人生を築いてください。東京電機大学の卒業生として、皆さんの未来を心から応援しています 。

LIXIL工場内。現場確認会で指を指して説明する筆者
1991年
理工学部産業機械工学科卒
山田 一喜