母校支援

TDUスピリッツが国防を担う!

初めまして、杉山学です。子供の頃からの夢であった自衛隊操縦士を目指し、昭和53年に東京電機大学高等学校を卒業後、同大学工学部への内部推薦を辞退し、海上自衛隊30期航空学生として山口県小月航空基地に入隊しました。小学生の頃に神宮外苑で行われた自衛隊観閲式に感動し、テレビのコンバットやプラモデルの影響を受けたことが入隊の動機です。

今回、航空部隊が果たした日米同盟の深化、そして、国防と海上自衛隊について私の海上自衛官としての歩みを通じ、理解を深めるきっかけとなれば幸いです。

充実した歩みができた自衛官時代

入隊後、最初の1年4か月は基礎課程を学びます。午前中は座学として航空や軍事関連、短大程度の一般教養を、そして午後は水泳等の実技中心の体育です。実はこの時、電高で学んだ物理Ⅱや数学Ⅲが大変役に立ちました。生活態度から諸動作、起床から就寝に至るまで細かい規定と時間との闘いでしたが、精神的にも肉体的にも強靭さが身に付き、同期との強い団結力が生まれ、今でも強い絆で結ばれています。

その後、飛行教育課程へ進みました。ここではフライトごとに技量の到達基準があり、私は目標通り飛行機の課程に進むことができましたが、約2割の同期が到達できず、違う道へ去ることに。また、ヘリコプターや戦術航空士(注1)の課程へ進んだ同期もほぼ同様で、入隊時80名だった同期が6年後の広島県江田島にある幹部候補生学校卒業時には47名にまで減っていました。

最初に配属されたのは神奈川県の厚木航空基地です。対潜哨戒機P-2J(注2)、当時最新鋭のP-3C(注3)の機長資格を取得し、平成5年には任務機長に昇格。周辺海域の監視任務等に従事しますが、この間、米国で開催される環太平洋合同軍事演習RIMPACに昭和63年と平成3年の2回、P-3Cで参加しました。

平成6年からは、千葉県の下総航空基地においてP-3C操縦教官の道へと進み、退職までの11年間に3回にわたり操縦教育に従事し、多くの操縦士や飛行教官を育ててきました。


P-2J(筆者撮影)

操縦士としての飛行時間は1万1千時間を超えていましたが、一方で、操縦士でありながら、防衛庁海上幕僚監部、教育航空集団司令部の教務幕僚、防衛省内局人事教育局など8年間に計4回、地上でのデスクワークを経験することに。

特に防衛省勤務では財務省に対する予算や編成要求、制度など行政事務にも携わりました。そして平成 25 年に自衛隊を定年退職し、令和元年には天皇陛下より瑞宝双光章を下賜され、さらには電高の元校長、担任であった高久先生と同窓生有志に祝っていただき、改めて思い起こせば充実した職業人生でした。

(注1) 戦術航空士: 哨戒機の操縦士と共に重要な配置で、哨戒経路や捜索パターンの設定、潜水艦の音響捜索及びレーダー捜索情報などから戦術的な判断を下す機長資格を有する幹部搭乗員、P-3CやP-1では、航法・通信配置の経験を積んで昇格する職種

(注2) P−2J : 海上自衛隊が1971年から1994年まで運用していた対潜哨戒機。他国の潜水艦に対応する役割。1965〜1978年まで川崎重工業が製造。総飛行時間61万時間にもおよぶ部隊運用が行われ、全機が無事故で退役。最大速度:556km/h、機体:全長29.26m、全高8.94m、翼幅:30.89m、最大離陸重量:34,000kg、乗員:12名。

(注3) P−3C : P−2Jの後継機として、1978〜1997年まで川崎重工業が製造し、現在も哨戒任務の第一線で活躍中。速力:(最大)395kt、機体:全幅30.4m、全長35.6m、全高10.3m、離陸重量:約56t、

発動機:T56―IHI−14(ターボプロップエンジン)、4,910馬力×4基、乗員:11名。

米ソ冷戦時代に蓄積された海上自衛隊の実力

80年代当時、ソ連の強大な軍事力を背景に、日本の周辺海域はソ連海軍と西側諸国の最前線となり、米海軍と海上自衛隊はソ連海軍と厳しく対峙していました。昭和59(1984)年、海上自衛隊に米海軍と同じ哨戒機P-3Cが導入され、日米同盟を背景に相互連携能力の向上を目標に、米海軍から多くの事項を学び育てられました。

海上自衛隊は、P-3C部隊によるソ連潜水艦の封じ込めや、RIMPAC等の合同軍事演習等において、米海軍をも上回る大きな成果を達成し、短期間に予想を上回る能力を発揮しました。海上自衛隊の実力に対し、米海軍軍人が驚きと敬意を表したことは、彼らの信頼を得ることができた証と考えています。このことで日米同盟の絆がより深化し強固となったものと確信しますが、国民の多くがこの事実を知らないことが残念です。

私は冷戦中と冷戦後の2度、RIMPACに参加し、米軍人から冷戦に勝ったという自負と誇りの言葉を聞きました。しかし、ソ連海軍の消滅により米海軍P-3C部隊も削減された時、組織の柔軟性に驚かずにはいられませんでした。


P-3C(出典:海上自衛隊ホームページ)

国際社会で日本が生き抜くために必要なこと

ここ数年、日本を取り巻く安全保障環境は激変し、南シナ海、弾道ミサイルや尖閣問題を契機に、日本人自身が自衛隊や抑止に対する考え方が多少変化したことは喜ばしい限りです。

日本は先の戦争で国民に大きな惨禍を残したため、未だ軍事に関する感情的な忌避感が存在しますが、日本人にしか通用しない平和理論を主張することは、国際社会において賢明とは言えないかもしれません。紛争抑止や軍備管理には国際間のルールもあり、どの様な原理によって世界が動くかを理解することが国際化の一歩かもしれません。

日米同盟は、戦後日本の繁栄基盤であり、今後も同盟関係の維持発展は極めて重要だと考えています。資源がない小国が生き残る戦略は、大国との同盟で繁栄を確保する以外は難しいという歴史的事実を踏まえ、日本にとって米国を筆頭に自由で開かれた国々との同盟関係を重視する政策が、抑止の向上に繋がるのではないでしょうか。

また、飛行機やGPSなど軍事技術の進歩が科学技術発展の基盤となったことも厳然とした事実です。今後はAIやドローンなど自立兵器の国際的な軍備管理が課題といえるのかもしれません。

東京電機大学高校、そして自衛隊に感謝

航空機搭乗員は、各人の業務と相互の信頼関係を基盤として任務を達成する職業ですが、私が入隊した当時は教官や先輩から厳しく教育指導を受け、これが自信と忍耐に繋がり何事をも克服する精神力と同期との絆となりました。

自衛隊は、社会人教育として制度に基づく教育課程を有し、人を育て伝統を継承する組織といえ、私は育てられたと感じています。海上自衛隊で操縦を学び、後半は人を育て、幹部として心技体を含めて幕僚として情勢判断など軍事や安全保障を学ぶことができ感謝しています。

そして忘れてはならないのは、東京電機大学高等学校で学んだことが後の様々な経験の基礎となったことです。どんな学びでも真面目に取り組むことで必ず役に立つものだと実感しました。

この投稿を通じて皆様方が多少なりとも抑止や国防に興味を持っていただければ幸いです。

1978年卒業
東京電機大学高等学校
杉山 学