すべての卒業生がロールモデル ~波乱万丈な私の半生もまた・・・
1983年に工学部応用理化学科を卒業した長尾桂子です。大学や校友会のSNSなどで紹介されている立派な経歴のOB・OG達がいらっしゃる中、私は多種多様な職歴を持つ異色の電大OGではあります。が、「すべての卒業生がロールモデル」をスローガンに立ち上げた「OG会」メンバーとして、ひとりの女性として、たまにはこんな風変わりでヘンテコなOGの話があってもいいのでは・・・などと勝手に思いつつ、このブログをお届けします。
プロローグ
「事実は小説とは奇なり」とか「人生波乱万丈」とか言いますが、自分に将来「~していたら」「~していれば」と後悔ばかりの日々が訪れるとは露知らず、またこれほどまでに予想外の人生を歩むことになろうとは知る由もありませんでした。
自分の人生を効率よく送るために若くから人生設計をしたとしても、結婚相手や結婚後の生活は未知数で、ましてや未来の出来事など全てを予測する事は不可能で、設計通りの人生を送れるとは限りません。「備えあれば患いなし」、とはいえ、どこまで「備え」が必要で可能なのかは、予測可能な未来だけに図り切れないことだと思います…。
予測しえなかった選択。専業主婦として育児に専念
私は電大卒業後、教員として働き始め、その後メーカーに転職しました。結婚してからは妊活を経験。4回の流産~2児を出産後、しばらく専業主婦として過ごします。その後、在宅業務、青果店勤務を経て現在は医療機関で働きながら2年半前には介護福祉士の資格を取得しました。と、このように多岐に渡る様々な職種と経験を重ねてきています。
長男を出産後、私の母がワーキング・マザーだったこともあり、出産後も普通に仕事を続けられるものとばかり思っていたのですが、世の中そんなに甘くはありませんでした。義父母はワーキング・マザーに難色を示し、区役所では義父母と同居していることから保育園への入園は難しいと言われ、やむなく専業主婦として育児に専念することを選択しました。しかしながら、この間の生活は振り返ると大きな糧になっているので、これも貴重な体験だったと今では思えています。
次男が就学してから在宅業務など育児に支障のない範囲で仕事を再開しました。この頃は、いずれ子ども達は順調に進学・就職・独立していくだろう、両親・義父母の介護があってもいずれ夫婦ふたりで老後の生活を送ることができるだろうと思っていました。
伴侶の急死。泣く間もなく暗闇の迷路をひたすらに歩く
その矢先、今から14年前のことです。5歳年下の夫が働き盛りの46歳で急逝したのです。残されたのは私と、高校受験を控えた中学3年生の長男、小学4年の次男のふたりの子供たち、現在も同居中の義父母でした。
夫は特に闘病中というわけではありませんでしたから、もちろんながら何の心構えも準備もなく、あまりにも突然の出来事に涙を流す余裕もありませんでした。それからしばらくは、ひと筋の光も見出せずに、一向に出口の見つからない暗闇の迷路を巡っているような感覚が続きました。前向きな感情になれなくても、残された者は生きていかねばなりません。
子どもたちの不登校が発覚。親子間の諍いが増える
こんな状況下にまるでドラマのような試練が待ち受けます。次男が不登校になったのです。もともと感情表現豊かで感覚過敏な次男にとって、当時、学校生活はあまり快適なものではなかったようです。更に発達障害を抱えていることが判明し、思春期に入っていき…と様々な条件が重なりました。
日ごとに親子間の諍いが増え、家庭環境は不安定になっていきました。そんな劣悪な家庭環境で、大学受験を迎えることを余儀なくされた長男にも大きく影響しました。学校や予備校、受験日の当日も欠席が続き、高校卒業後に通い始めた予備校も2週間で、長男もまた不登校になっていったのです。
子ども達2人が毎日ずっと家にいる状況に、義父母が口を出さない訳がなく、間に挟まれる私は「なぜ自分ばかりがこんな思いをしなくてはならないのか」と理不尽でたまらなくて、気持ちとしては結構きつかったです。
周囲には「神様は与えた試練に耐えられる人にしか試練を課さないから」という人もいましたが、「いやいやいや、そんな試練要らないし、耐えたくもないし」と心の中では反発する気持ちしか湧いてきません。自分は地位や名声、財産を望む訳ではない、ただ世間一般に言われる普通の生活を望んでいるだけなのに、それすらも許されないのか…と、絶望的な毎日でした。
目覚めの時。それぞれの道を選び動き出す
それでも親である以上、子ども達をこのまま放置しておくことはできませんから、子ども達と日々闘いつつ、仕事の傍ら小児科の専門医やスクールカウンセラー、行政の相談窓口、関係するセミナー等々、あちこちへと助けを求めて駆け回っていました。その間、藁をもすがる思いの中で出会った、同様のお子さんを抱えたママ友達との交流は心の支え・励ましとなったことは言うまでもありません。
そんな親の行動を知ってか知らずか、ある年の秋も深まる頃になり、子ども達も目覚めの時期が来たのでしょうか。長男は大学進学だけが全てではないと自身で割り切り専門学校へ、次男はサポート校*1では納得できないと普通高校への進学を自ら選択し、各々の目標に向けて動き出したのです。
その後の子ども達ですが、紆余曲折を経て、長男は現在IT企業で自動車の開発設計に従事しています。大学4年生となった次男は言わずもがな就活真っただ中、難航中です。相変わらず順風満帆とはいかないものの、それぞれの道を自ら考えて進んでいます
*1 サポート校 高校に行かずに高等学校卒業程度認定試験合格を目指す個人に対して、学習に対する支援などを行う民間の教育施設、学習塾の呼称。
ホームカミングデ―「母校で集い、つながる仲間」たちと
さて、私自身を振り返ってみたいと思います。正直言って、電大で学びエキスパートの道を選択しなかった事には後悔があります。が、おこががましくも世の中のいろいろを知りたいと思ってしまう好奇心旺盛な自分の性分には、多種多様な職遍歴も必然だったのかもしれないと、今ではすべてを受け入れています。
そんな怒涛の半生を送る中で、時折会う電大時代の旧友たちとの時間は、日常から解放される心の癒しとなりました。10年前くらいからは、大学で開催されるホームカミングデー*2を機に毎年集まることになり、加えてここ最近は3か月に1度のペースで顔を合わせて楽しい時間を過ごしています。
24年5月には、会食後に電大生時代の思い出の場所ツアーをしました。飯田橋駅を出発し、入学式・卒業式を行った「日本武道館」~お花見をした「北の丸公園」~謝恩会会場になった「如水会館」~研究室のあった「5号館跡地」で記念撮影も。
友人たちがよく通っていた雀荘は場所の確定には至らず、当時昼食に利用していたお店もすっかり様変わりしてしまっていました。しかし「ラーメンの龍岡」だけは今も変わらずあり、嬉しかったです。ゴールは「本館・7号館跡地」。もちろん記念撮影も忘れません。
そして7月には厚意で、友人の勤務先の隅田川花火大会鑑賞会にお邪魔させてもらいました。スカイツリーを横目に見た隅田川花火に時の流れを感じながらも、酔いつぶれてしまった友人に当時の面影を感じ、思わず顔が緩んでしまいました。
大学が最終学歴の私達にとっては、電大時代の友人が学生生活最後の友人になります。卒業後40年以上が経過した今も、ずっと交流が続く「母校で集い、つながる仲間」。友人たち巡り合えた電大を選択してよかったと思っています。
女性が少ないホームカミングデーに寂しさ覚えOG会を発足!
そんな中で、ホームカミングデ―に出席して感じたことがもうひとつあります。電大にはそれなりに女子学生がいたはずなのに、会場で他の女性の姿をほとんど見かけずに寂しいと感じたことです。そこで、何とかOG同志を繋ぐことはできないかと、竹川さん*2が発起人となって、その時一緒にいた私を含む同期3人が加わり「OG会」*2をスタートさせました。
OG会ではFacebookやX(旧twitter)といったSNSで情報発信をしつつ、7年前には大学の講義室をお借りして「OGカフェ」を開催。現役女子学生と交流を持つ機会を得ることができました。
*2 竹川さん・OG会 筆者の同期、竹川一枝さんを発起人に電大OG会を発足した。詳しい背景は同窓会ブログを参照。ホームカミングデーの講演会は緊張しっぱなし! https://www.tduaa.or.jp/support/blog043/
でん☆ふぁみ始動!OGカフェで電大の魅力伝える
2024年は電大と名がつく学園全部の卒業生を、ひとつにつなぐプロジェクト「でん☆ふぁみ*3」の始動に合わせて、ホームカミングデーで「OGカフェ」の場を設けさせていただいたところ、20名ほどの方々が足を運んで下さいました。
ご来店いただいたのは、
・就職後の自分の未来へ不安を抱える電大3年生
・高3女子高校生は今秋の推薦枠で電大を受験予定
・将来ロボットを作りたくて工学系への進学を考えている女子小学生
といった、様々な環境で頑張る在校生や、未来の後輩でした。
お話を伺っていて、OGや現役学生の相談はもとより、小中高生の進路相談も受けることで「電大で学びたい」学生の増員にも貢献できるのではと、「OGカフェ」の可能性を感じることができました。
東京在住ではないOB(男性卒業生)の方からはホームカミングデーに来ても同期生になかなか会えないという悩み(?)を伺いました。これはまた「でん☆ふぁみ」の出番なのでは? 明るい未来が見えたように感じています。
*3 でん☆ふぁみについての詳細はこちらのブログで「後輩を応援したい」熱き想いが進化します(応援者募集中!)
https://www.tduaa.or.jp/support/blog054/
エピローグ
半生を振り返り、「でん☆ふぁみ」の活動にも触れてきました。家族も、電大の繋がりも、自分もまた未来に繋がっていく。今後が更に楽しみになってきたこの頃です。
1983年
工学部応用理化学科卒
長尾 桂子
その他関連リンク
電大OGメンバーの紹介PDF
https://www.tduaa.or.jp/tduaa/wp-content/uploads/2023/05/dendaiOG.pdf
「でん☆ふぁみ」紹介動画
https://www.youtube.com/watch?v=lrxiVLQS8Q8
「でん☆ふぁみ」メンバー登録
https://form.k3r.jp/tdu_aa/denfami
【前編】電大OG4人組で奮闘中!後輩リケジョを救え!
https://www.tduaa.or.jp/support/blog033/
【後編】電大OG4人組で奮闘中!後輩リケジョを救え!
https://www.tduaa.or.jp/support/blog034/